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東京高等裁判所 昭和57年(う)573号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

第一弁護人柏木義憲、同佐藤利雄の控訴趣意第一点(事実誤認等の主張)について

所論は、要するに、原判決はその罪となるべき事実第一において、被告人佐野誠(本項では以下単に被告人という)が原審相被告人佐藤正見に対し「僕の乗る二枠の馬を買つてみたらどうだ。今回は調子が良いので勝てそうだ。相手は三枠と一枠で、四枠から外はない」旨原判示競走に関する情報を提供し、同人からその報酬として供与されるものであることの情を知りながら、現金二〇万円の供与を受け、もつてその競走に関し賄ろを収受した旨認定しているが、被告人が右佐藤に提供した情報の内容は「(馬の)調子が良い。頑張るよ。」という趣旨のものにすきず、その程度の情報の提供は事実上の慣行として許されているものであり、また被告人が佐藤から受領したとされる金員についても、まずその金額が真実と異なるばかりでなく、その授受の趣旨も、原判示とは異なり、被告人が先に右佐藤から競走馬の購入斡旋方の依頼を受け、被告人を介してその父親において北海道へ右購入する馬の見分に赴いた際要した足代等の出費の弁償と、原判示競走に関して右佐藤の購入した馬券が大当たりし、かつ被告人の騎乗した競走馬で二着に入賞したことによる祝儀の趣旨を兼ねて授受されたものに過ぎないから、その受領は原判示のような賄ろの収受には当たらず、被告人は本件につき無罪とされるべきであるのに、これを有罪とした原判決は審理不尽により事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れない、というのである。

しかしながら、原判示第一の事実は原判決に掲げる関係各証拠により十分にこれを認定することができ、所論にかんがみ原審記録並びに証拠物を調査検討しても、原判決の事務認定に所論のような誤りは存しない。すなわち、原審相被告人佐藤正見及び被告人の検察官に対する各供述調書、原審証人金英の証言右佐藤の原審公判廷における供述(但し、第一三回公判期日分を除く。以下同じ。)、その他の関係証拠を総合すると、被告人と右佐藤正見とは旧知の間柄にあつたもので、昭和五四年九月頃からは被告人において自己の出走する競馬の開催期間中佐藤の求めに応じ、また時には自ら進んで、同人の馬券購入に資するため、事前の電話あるいは予め同人と示し合わせておいた出走直前の合図などにより、しばしば自己の騎乗予定の競走馬の体調並びにその勝敗の予想等について情報を提供していたが、必ずしもその情報にかなう結果が得られず右佐藤に迷惑をかけることがあつたところ、たまたま原判示競走当日の数日前から被告人の騎乗予定の馬の動きがよく、以前よく見られた蹄割れによる出血の気配もなく、体調すこぶる好調と思われたところから、これまでの同人に対する迷惑の償いの意味もこめて、右競走当日佐藤に対し電話で右競走馬の体調が良い旨伝えるとともに、原判示のような競走の勝敗に関する自己の予想をも申し述べたこと、そこで、佐藤においては右のような被告人の自信のある口振りから早速右情報をもとに馬券を購入することを思い立ち、急きよやり繰りして調達した金員で友人と共同で被告人のいう予想の線に沿つて馬券を購入したところこれが的中し、多額の払戻金の交付を受けるに至つたこと、その翌日右佐藤は被告人から右のように競走馬の体調や勝敗の予想に関する情報の提供を受けたため、大儲けしたことに対する謝礼の趣旨で、被告人に対し原判示路上において現金二〇万円を供与し、被告人も右のような謝礼の趣旨で供与されるものであることの情を知りながら、右金員の供与を受けたこと、以上の諸事実が認められる。

被告人は本件につき原審公判廷で、次のとおり述べている。すなわち、佐藤に対しては原判示のような勝馬予想は言つていない、被告人の検察官調書にそのように言つた旨記載されているのは、取調官に真実を言つてもみんな嘘だと極め付けられたので自分が勝手に嘘の話を作つて答えたものである。また右調書中に、被告人が佐藤から現金二〇万円を貰い、一旦これを同人に返したのち改めて同人から五万円を貰つた旨の記載があるが、これは先に取調担当の警察官から、佐藤から二〇万円を貰つたことを認めれば助けてやる(釈放してやる)、家族のみんなにも迷惑をかけない、と言われ、一旦これを認めたところから、その直後の検察官の取調でもその撤回が難しくなり、やむなく前記のように供述したことによるもので、真実は被告人が佐藤から貰つた現金は当初から五万円である、弁護人からは二〇万円を貰つたことを認めたからといつて釈放されるようなことはないと言われたが、当時弁護人とは余り面識がなかつたので、警察官の釈放してやるという言葉を信じてさきに述べたような供述をしたものである。さらに右金員の授受の趣旨について、調書上は原判示にそう記載となつているが、実際は佐藤に頼まれ、父が北海道に競走馬の購入のため見分に行つているので、その足代、あるいは被告人の騎乗した競走馬が二着に入り、佐藤の買つた馬券が当たつたのでその祝儀として呉れたものと思つており、警察でもそのように述べたが聞き入れられず、検察官の取調でも調書に記載されているように極め付けられ、そのように録取されたものである。なお、警察の取調では、取調警察官から耳を引つ張られたり、肩を小突かれたり、コーラのびんで頭を叩かれるなどの暴行も受けた。おおよそ以上のとおり供述している。

しかしながら、以上の諸点に関する被告人の検察官に対する各供述調書の記載は、佐藤から受領した金員が五万円であるとの点に関する記載部分を除き、佐藤の検察官に対する各供述調書の記載ともよく符号し、内容的に自然かつ合理的であつて、十分信用性が認められるのに対して、被告人の前示法廷供述はその供述の過程に自己に不利益な供述は極力避けようとする態度が如実に窺われ、その内容も不自然、不合理であつて信用し難く、さらに被告人に対する取調担当の警察官である原審証人松田律男の証言に照らすと、その信用し難いものであることは一層明瞭である。また取調官において被告人に対しその供述するような強制誘導ないしは暴行を加えた事跡は記録上毫も窺われない。なお、付言すると、被告人は、捜査官に対し佐藤から受領した金員が二〇万円であることを一時は認めていたところ、その後これを撤回し、受領した金員は五万円である旨述べるに至つたが、右受領した金員が二〇万円であると認めた被告人の検察官調書の信用できるものであることは、前掲証人松田の、被告人が当初警察官の取調に対しその旨の自供をした際の供述態度、状況に関する証言に徴し、さらに、右金員の供与者である佐藤が捜査、公判の過程を通じ一貫して同人が被告人に交付した金員は二〇万円である旨供述していることに照らしても明らかである。また、右金員の授受の趣旨の点についても、被告人自身原審公判廷で、前示のように佐藤から足代あるいは祝儀として貰つたと述べている反面、右現金はその後ゴルフバッグの中に入れて隠しておいた旨供述している(その後弁護人の誘導尋問により供述を変更し、隠しておいたのではなく、しまつておいたものであると、不自然な弁解をしている)こと、被告人の父親も原審公判廷において、被告人が佐藤から現金を受領したという事実は被告人が本件につき警察で最初の取調を受けた後初めて被告人から聞かされて知つた旨証言し、いずれも本件金員が所論の趣旨で授受されたものではなく、原判示の趣旨で授受されたものであることを暗に窺わせるような供述をしていること、前掲証人松田も、警察での取調の際には本件金員が競走馬の下見に行つた足代であるという趣旨の被告人の供述は全くなく、右証人の取調に対し被告人は終始それが情報提供のお礼であることを認めていた旨証言していることなど照らし、本件金員が原判示のような趣旨で授受されたものであることは明らかで、所論の各点に関する原審の認定は証拠上優に肯認しうるものというべきである。

以上のとおりで、原判示第一の事実につき審理不尽、事実誤認をいう論旨は、理由がない。

第二同控訴趣意第二点(法令の解釈適用の誤りの主張)について

所論は、要するに、原判決はその罪となるべき事実の第一として、原判示のような事実を認定したうえ、これに競馬法三二条の二前段を適用し、被告人を有罪としたが、同条にいう「その競走に関して」とは、「特定の具体的競走に関して」と解すべきことはいうまでもなく、右競走に関して授受される金品の賄ろ性の判断については刑法典等の同種罰条との比較、競馬界の実態、慣行、刑法の謙抑性からして厳格に解すべきであつて授受される金品が単なる祝儀と明確に峻別しうるものであることを要することは勿論のこと、その判断の基準は競馬の公正に対する具体的な社会の信頼を害するか否かによるべきで、それが賄ろと認定されるには当事者間に予め不正レースの談合が前提として存在するとか、当事者間で金品の授受がレース前に行われ、あるいは約束されるとか、レースに関する情報提供の方式が特殊な合図による場合などに限定して解釈されるべきである。従つて、本件の場合仮に原判決の認定した事実が正しいとしても、原判示金員の授受は右に掲げたいずれの場合にも当たらないから右事実は前記罰条には該当せず、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りがあり、破棄を免れない、というのである。

しかしながら、この点は原判決が「弁護人らの主張に対する判断」の項の第一の三の2において詳細に説示しているとおりであつて、所論法条の解釈適用が厳格になされるべきものであることは所論のとおりであるとしても、これを不正レースの談合が前提として存在する場合など所論の掲げる特殊な場合に限定して解釈適用しなければならない必然性はなく、本件における前示認定のような、被告人が佐藤に情報を提供するに至つた経緯、情報提供の方法、態様、提供された情報の内容と勝敗の結果および授受された金員の趣旨等に徴すると、被告人の本件所為は社会通念上その競走の結果に多大の疑惑を生じさせ、その公正に対する社会の信頼を害する程度に達していたものということができ、これが競馬法三二条の二に規定する「その競走に関して賄ろを収受し」た場合にあたるものであることは明らかであるから、被告人の右所為に右法条を適用してこれを有罪とした原判決には所論のような法令の解釈適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

第三弁護人秋山昭八、同刀根国郎、同石井春水の控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、原判決はその罪となるべき事実第二において、被告人岡部正道(本項では以下単に被告人という)が原審相被告人佐藤正見に対し「俺の馬は、四レースと一〇レースは調子が良いので何とか勝てそうだ。八レースは調子が良くないので駄目だ。四レースでは『オゴトショーリ』が良く、一〇レースでは『シーラップ』、八レースでは三番が強い」旨原判示競走に関する情報を提供し、同人からその情報を提供し、同人からその報酬として供与されるものであることの情を知りながら現金二〇万円の供与を受け、もつてその競走に関し賄ろを収受した旨認定しているが、被告人は右佐藤から電話を受けた際、同人から「(馬の)調子はどうか」と聞かれたので、単純に一般的な挨拶程度の応答として、「四と一〇は具合よく、八はよくない」旨応えたにすぎず、これをもつて被告人が佐藤に対し原判示のような情報を提供したということはできず、また、被告人が佐藤から受領した金員も、競馬場ではかなり公然と授受されている祝儀としての性質をもつもので、原判示のような情報提供に対する報酬、すなわち賄ろというべきものではないから、被告人は本件につき無罪とされるべきであるのに、これを有罪とした原判決は事実を誤認したものであり、破棄を免れない、というのである。

しかしながら、原判示第二の事実は原判決に掲げる関係各証拠により十分にこれを認定することができ、所論にかんがみ原審記録並びに証拠物を調査検討しても、原判決の事実認定に所論のような誤りは存しない。すなわち、原審相被告人佐藤正見及び被告人の検察官に対する各供述調書、原審証人金英の証言、右佐藤正見の原審公判廷における供述(但し、第一三回公判期日分を除く。)、その他の関係証拠を総合すると、被告人と右佐藤正見とは、同人と相被告人佐野との場合と同様、互いに旧知の間柄にあり、昭和五四年八、九月頃から被告人において自己の出走する競馬の開催期間中自ら進んで、あるいは佐藤の求めに応じ、同人の馬券購入に資するため事前の電話によりしばしば自己の騎乗予定の競走馬の体調並びにその勝敗の予想等について情報を提供し、その開催競馬の終了後には右佐藤から飲食やトルコ風呂での遊興等の接待を受ける(時には被告人においてその費用の一部を負担することもあつた。)などし、ことに同年一〇月には佐藤において被告人から得た情報をもとに購入した馬券が的中して利益を得、同人からその謝礼として現金二〇万円の交付を受けたこともあること、たまたま原判示競走前日に被告人は右佐藤から前示のような競走馬の体調、勝敗の予想等について情報の提供を求められるや、これまでと同様安易な気持ちで、同人に対し原判示のような内容の情報を提供したものであり、競走当日、佐藤は友人と共同で被告人のいう予想の線に沿い馬券を購入したところ、その一部が的中し、多額の払戻金の交付を受けるに至つたこと、その翌々日右佐藤は被告人から右のように大儲けしたことに対する謝礼の趣旨で、被告人に対し原判示路上において現金二〇万円を手交し、被告人もこれまでのいきさつからその趣旨を十分諒知しながら、右金員を受領したものであること、以上の事実が認められる。

所論は、被告人が捜査、公判の過程を通じ一貫して原判示第二の一〇レースの競走馬「シーラップ」号について勝敗の予想を述べた記憶はない旨供述しているところから、被告人が佐藤に右「シーラップ」号について原判示のような勝敗の予想を述べた事実はなく、この点に関する原判示に沿う佐藤の検察官に対する供述調書の記載は措信し難く、また、本件の金員授受の趣旨を情報提供に対する謝礼であると自認する被告人の検察官に対する供述調書の記載も措信し難いというが、これら調書の信用性は、原判決が前示「弁護人らの主張に対する判断」の項の第一の二の2及び4において詳細に説示しているとおり、優にこれを肯認することができるのであつて、これに反する所論はいずれも採用することができない。

以上のとおりで、原判示第二の事実につき事実誤認をいう論旨は、理由がない。

第四同控訴趣意第二点(法令解釈の誤りの主張)について

所論は、要するに、原判決はその罪となるべき事実の第二として、原判示のような事実を認定したうえ、これに競馬法三二条の二前段を適用し、被告人岡部を有罪としたが、騎手による単なる競走馬の体調や勝敗の予想に関する情報の提供だけでは当該騎手が出走する具体的競走の公正に対する社会の信頼を害するものではなく、右の如き情報提供の対価として騎手が報酬を得ることは一種の慣行としても行われていたものであつて、これらの点に、同法三三条(二九条)の罰則の定める法定刑との均衡という観点をも合わせ考えると、同法三二条の二前段の規定は、不正競走がらみの情報提供がなされ、その対価として金品が収受された場合のみを予想しているものと解すべきである。従つて、本件の場合被告人岡部が提供した情報は、競馬予想誌の予想とも合致する点が多く、内容的に特に重要なものではなく、かつその方法も特別の合図によるというものでもないし、また事前に金員授受の約束をしたり、事後に不正行為に及んだりしたというものでもないから、同被告人の本件所為は可罰的違法性を欠き構成要件に該当しないものというべきであるのに、これを構成要件に該当する違法な行為であるとし、同被告人を有罪とした原判決には法令の解釈適用を誤つた違法があり、破棄を免れない、というのである。

しかしながら、この点は原判決が前示「弁護人らの主張に対する判断」の項の第一の三の2において詳細に説示しているとおりであつて、右罰則を所論のように限定して解釈適用すべきいわれはなく本件における前示認定のような、被告人岡部が佐藤に情報を提供するに至つた経緯、情報提供の方法、態様、提供された情報の内容、勝敗の結果、および授受された金員の趣旨等に徴すると、同被告人の本件所為に可罰的違法性がないとは到底いえず、原判決の法令の解釈適用に誤りがあるとは考えられず、論旨は理由がない。

(市川郁雄 千葉裕 小田部米彦)

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